私は料理人の父のもとで育ち、幼い頃から「食べること」は日常の一部であり、誇りでもありました。家では、食べるものに困ることなく、美味しいものを食べられる喜びを知っていました。
しかし、テレビで「今日のご飯すら確保できない」人々の姿を見たとき、衝撃を受けたのです。自分は「不自由なく食べられる側」にいる。その事実に向き合った瞬間から、「食の不平等」や、「不幸を減らしたい」という思いが生まれ始めました。
ただ、「食べられる=幸せ」ではない、という想いも同時に芽生えました。世界幸福度ランキングのような調査からもわかる通り、食事の充足率が95%もある高い国であっても、幸福だと感じている人が必ずしも多いわけではありません。
あるとき、初めてキャンプに出かけたときのことです。電気・ガス・水道がほとんどない環境で、自然と向き合う体験。
そのとき感じたのは、不便の多さにもかかわらず、そこに「幸福感」や「充実感」「贅沢さ」があるということ。自然の風、夜は星空、焚き火の揺らぎ、静寂——。
日常よりもずっと五感が開き、心が満たされていく感覚。
“不便益”(benefit of inconvenience)とは、あえて不便を取り入れることで得られる “心の価値” を指す考え方です。効率・利便性だけを追うと見過ごされがちな「体験」「感性」「主体性」を取り戻す視点です。例えば、、
・手動のコーヒーミルで豆を挽く時間が、香りや味への感度を高める
・テント設営や火起こしの手間が、達成感や協力体験をもたらす
・暗闇や静寂の中で、日常の情報ノイズから解放される時間が、心の余白を取り戻す
このような価値を、自らの体験の中で確かめてきたからこそ、私は「ゆとりゆたか」ではキャンプと食を通じて心の「ゆとり」と「ゆたか」のある世界にしていきたいと思うようになりました。
そしてこの「不便益」という考え方は、実は昔から日本文化の根底に流れている感性“侘び寂び”にも通じます。
侘び寂びとは、「不足や静けさ、移ろいゆくものの中に美しさを見いだす」という日本特有の美意識です。
たとえば、ひびの入った茶碗に趣を感じるように、完璧ではないものにこそ“味わい”があるものです。
キャンプもまた、まさにその侘び寂びの世界と同じように、火が消えかける瞬間の儚さ、夜の静けさ、不便さの中にある「心の豊かさ」を感じる時間が詰まっていると考えています。それは、“便利さの対極”にある、日本人の感性そのものです。
我々はこのような思いから【ゆとりゆたか】と名前にし、心の「ゆとり」と「ゆたか」のある世界に。を実現していきます。また、食とキャンプを通じたイベント『大人の日帰り修学旅行』を毎月東京で開催しております。手ぶらで手軽にキャンプ初心者でもキャンプを体験できたりファミリーの方々に自然の中でキャンプ飯体験をしていただいております。
